歌上手の悲哀(チェット・ベイカー)
考えてみれば、チェット・ベイカーほど理想的な
ジャズ・ミュージシャンはいない。
歌を歌えば、よく言われる中性的な声は十二分に
憂いを帯び、ジャズにはもってこいで、
かなりの美声である。
トランペットを吹けば歌心満点で、その表現力に
他の楽器奏者でさえ、彼のように吹けたらと、
嫉妬したくらいである。
まさにジャズを演奏するために生まれてきたと
いえるだろう。
今の若者は音楽と聞くのに、特にこれというジャンルに
こだわらず、いい曲はいい曲として、曲単位で聞くそうだ。
音楽業界もそういう人たちに向けてか、各ジャンルの
「いいとこどり」のようなコンピレーションアルバムを
たくさん出している。
ジャズもご多分にもれず定番物のコンピレーションを
毎年のようにリリースしているが、その中に
よくチェット・ベイカーの曲も良く選ばれる。
それはいいことだが、問題は歌物に限る場合が
ほとんどだということだ。トランペットの演奏のみ
取り上げているものは少ない。
チェット・ベイカーが生きている頃なら、ファンは
均等に聞いたかもしれないが、今の人たちは
コンピ盤から入ると、それからアルバムを買った
としても、
「ああ、チェット・ベイカー・シングスはいいね。」
で終わるのが関の山だ。
まあ、自分自身、毎日チェット・ベイカーの歌を
聞いていた時期もあったので、えらそうなことは
言えないが。
チェット・ベイカーが空の上からその状況を
見ていたらどうだろうか。
「もっと俺の演奏の方を聞いてくれ」
と言うかもしれない。
歌にだけスポットライトが当たっているのは、
きっと悲しいに違いないだろう。(づづく)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

































































最近のコメント